2006.12.23&24村上信五ソロコン(3)

おもいっきり書きかけで終えてしまった昨年最後の日記。結局気の済むまで書かずにはいられないので。



コンサートが終わって、このソロコンだけを見て何か別の仕事を持ってくるとしたらマルちゃんにだなあと思ったりしたんだけれど。歌やShow的に魅せるという意味で使える人だと別の舞台の仕事をもっていくという意味で。村上さんのソロコンはほんとに村上さん以外のもの以外何者でもなく。自分勝手ってそういうことですか。
しかし、ジャニーズ的仕事で呼ばれないとしても、MCが。どちらの喋りのプロだろうかとなんの舞台セットもない松竹座の舞台の真ん中にたった一人で立ってMCを始めた村上さんを見ながら思いました。他のすべてを完全に統制化においてとても自由そうな村上さんの空間。やっぱり村上さんの喋りはすごいと思う。


それから村上さんはとても自分のことをよくわかっている人です。生着替えから歌からコント中の可愛いヒナちゃんから、もう、感心しましたとも。その厭らしさをそうそう出さないのは賢いってことでしょうか。村上さんの色の見えない目とともによくわからないところだ。


実際に見るまで全く想像がつかなかった村上さんのソロコンは、終わってみると村上さん以外の何ものでもないコンであったとしても、どこか知っているものの気がした。レポで読ませてもらっていた昔の松竹座っぽいなと。感じるものが勢いとか笑いとか下の子に試練を与えつつそれを余計に上手く活かして作り上げるところとか(いまは結構メンバーはみんな逞しくなってるから谷底に落とされてる感があんまりない気がする)。シュールさをもってくるのも、それを思い切り笑い飛ばしてやってきたんじゃないのかしらと。
そう思ったら、なんだ全く知らないはずはない、同じ村上さんが構成したものを見てきたはずだものなあと納得。独りの村上さんが何を考えているのかさっぱりわかんないと思ってたけど、思考とか嗜好とかその人の中にあるものが全く別人格であったりはしないものだろうと、だから嗚呼なんだと。見えてるものの中にちゃんとその人は表れているもので、全部が演技だとか作り物だとか嘘には出来ないものだなあと。よかった、村上さんが稀代の嘘つきじゃなくて(笑)。
そしてやっぱり村上さんに惹かれるのは間違ってないわと。わたしにとっての村上さんは理念型なんだろうけどね。まあでもよくわかんないけどね、結局笑っててくれればいいと思ってるんだから。




・・・さて、これだけレポが出来ないそういう能力に欠けているというのも、こういう日記を書いてみて初めてわかったこと。見たものなんて即効忘れます。そこに残る感情にばかり囚われます。記憶の糸をそんなところにばかり伸ばして夢を紡ぐのがよくない癖なんだろうけれど。
でもだから忘れたりはしないことは。エイトを好きになったのは8人でそこにいる彼らが本当に楽しそうで幸せそうだったからだって。なんでいい歳をした男の人たちがこんなふうなんだろうって不思議さと羨ましさでいっぱいだった。大事なものがあるってことは強い。そう感じさせてくれた彼ら自身を信じる気持ちは今も何にも変わらない。