47ツアー、始まってんねんね。おめでとうありがとうラストまで怪我のないように。
レポを読ませてもらったりすると、どうして自分はそこにいないんだろうと本気で思ってしまうほど楽しそうで幸せそうで。
嗚呼行きたいという気持ちと、楽しかったよと言っている人に対するありがとうという気持ち(それを伝えてくれてありがとう&好きでいてくれてありがとう、かな)と、エイトくんたちに対するよかったねえという気持ちで、かなり本気でうるっときます。可愛い可愛いウチの子以外何者でもありません。やっぱり好きやねんなあ。
どおしてこんなに愛おしいんでしょうねえ。
だけどそれだけ愛おしくても、自分にあんまりにも余裕のないときはその愛おしさすら受け止められなかったりすることがあるんですね。時間的余裕とは別にして見られなかったりして。
彼らが持っているというか彼らから感じる幸福感を削りたくない、そこにあるそのまま全部飲み込みたい。だけどそれがそのときの自分にはできないことがわかっているから見られない。好きでなくなるのではなくて、こんなにも好きなのかと後から思うわけですが。
そしてそんな間の彼らというか自分は乗り越えて残しておく必要はないんだよというかのように、きれいさっぱりHDDの中身がふっとんだわけですけれども。勝手に前向きストーリー作りあげてますけど。まあ惜しいとは思うけれど覚えているし、今やこれからのエイトが見事にその情けない悲しさを埋めてくれて、エイトが大きくなっていく様の感動の方が大きいわけですけれども。
どうしても残るいつかを想う少しの寂しさと、それを覆う喜びがまた、愛おしさの象徴のようです。