なぜなのか

私の書くものが世界とズレているのは、私の感情がズレているからです。自己愛がひどすぎるんでしょうか。こんな感情で見ている人が、こんなブログを書いてるのがおかしいんだろうなと思います。同じ様な視点の方がいるのか是非とも知りたいところです。同属嫌悪で嫌かもしれませんが・・

ちなみに、こんなこと↓言いながら、ポスターはしっかり買って貼るし(それも2枚買った笑、でも持って帰る途中で見事にコンビニに忘れた、ついでに初めて舞台写真買ったときもファミレスにしっかり忘れた)、「ヒナちゃんカッコイイ・・」を今までのコン中、一番たくさん呟いて見惚れてきたのですが。
人から見たら、自家撞着に陥っているとしか言いようがないに違いない。救いようのないお馬鹿からいつになったら抜け出せるよ私。



自分の感情が重過ぎる気がする
彼らに対して、ほしいもんお化けになる気もさらさらないし、なっている気もない
片思いは辛い
ただ待っているのは嫌だ
だから届かない想いに対して、届かせようと努力をしない限り、これをしてあれをしてと何かを要求しようとは基本的に思っていないつもりだ
けれども、やはりほしいものがある
笑っていてほしい
私にというより、幸せそうに笑っている顔が見たい
嗚呼しあわせなんだろうな、と思いたい
それが一番強い気持ちの気がする



それは「好き」だからではあるけれど、恋とも違う
尊敬とか憧れが強すぎるそれはつまり、彼が「理想の具現化」したものだからなんだろう
恋する相手としてではなく、自分の鏡として
こうありたいと思うものを持っている彼に、私の理想を凌いでほしい
自分の理想を他人に描いても仕方がないんだけれど
彼の中に見つけたその理想の欠片とその行く先が、やはり間違ってはいなかったんだと確認し続けたくて追い続けているのかもしれない



真っ直ぐ自分を見ればいいのに、と自分で今これを書きながら思った
現実の、まだ胸を張り切れるほどの力もない自分だけを見つめて、強くなれるほど、もう強くないのかもしれない
理想を掲げて、行く先に光を見たいのだ
それともただ、理想に出逢ったからというだけのことかもしれない
うん、理想の欠片に偶然出逢ったのだ
まだまだ未完成で、なのに確かに私の理想の欠片を自分で手に入れたのだとわかる、もがいて進んでゆく真っ最中の人に
すごいとただ純粋に思ったんだ
感心した
ちょうど私自身が、本当の自信がどうしたら自分のものになるのか実感していたときだったから
だから彼は私自身の投影なのだ



三馬鹿がどうしようもなく好きなのも、8人が可愛くて大好きなのも、
羨ましいから、どうしようもなく
あんな関係を、表情を、作り上げた人達が
一人では出来ないことだから




自分の答えが見付からなくて、迷ったり、焦ったり、投げそうになったり
でも彼や彼らを見ると自分に言い聞かせられる
理想や自信、我慢や努力や歳月を



こうやって書いてると、ものすごくしちめんどくさい女だな私
だからってやっぱりそれを恋には擦り替えられないのだから
ただ、ほしいものを追いかける
しあわせなんだろうなと思える、笑っている顔を見たい
あんまりにもビジュアルが良くて、かっこよくて惚れ惚れする、そんなことも多々あるけれど
それは時間が経って忘れてしまっても、
めちゃくちゃ楽しそうに嬉しそうに笑ってた表情は忘れられない
羨ましくて
きっとその表情を渇望しなくなったときは、私がそんな表情をごく当たり前にするようになったときなんだろうと思う
別にちっとも不幸なわけでも卑屈なわけでもないよ
ただ足りないんだ、まだ自分が。