ひかり は 人

長年の疑問の答えの一部が見えた気がすることがあって。
夢が思い浮かばない子だったんです、小さい頃から。お店屋さんになりたい花屋さんパン屋さん保母さん、といった声が聞こえる中、全くそんなことは思えなくて。なんにも思えなくて。小学校の何年生かの文集で将来なりたいものを書かなきゃいけなくなったときも思い浮かばなくて困って、誰かが婦人警官て書いてあるのをへーと思って真似てみたり。結局、本当にこうなりたいと思って夢を描けるようになったのは数年前でした。それまであーこんなのいいかもなと思ったものがなかったわけじゃないけど、趣味的すぎたり、コンプレックスの裏返しであったりで、どうしてもと思えなくて形にもできなかった。今はみつかったのだからいいのだけれど。
疑問だったのは、どうして夢がもっと無邪気に描けなかったのだろうということ。昔はほんとに自分の内側にばかり意識が向いていたから外(他人)を意識していないからだろうかとは思っていたけれども。
でも結局、物や仕事に夢を描けないだけだったんじゃないかと。今でも多分それは同じで、あ、自分は物や仕事に憧れるのではなくて、人に憧れるんだ、とこの間思って。人に憧れるといっても、その人を見てきゃーとかいう風に思うわけではなくて、すごいと思う人、素敵だなと思う人がいれば、そのすごいと思える人と対等に話せるくらいの自分になりたいと思う。そしたらおもしろいだろうなと。そのために今は仕事ややりたいことがあるんだと。
やっぱり他人という光に反射せずに鏡が内側に向きすぎていたということなのかな。でもそれは気がつくには小さすぎるときからそうだったからそんなことで自分を責めたりする趣味はない。気がついたときに変えられなかった反省はしたけどね。