変わろう

自分の中に留まっていたいろんな人の言葉が繋がって腑に落ちてようやく飲み込めそうだ。


走られるときに走るべきだと思ってる。走らなきゃいけないときがあると思ってる。走ってることもしんどくても嫌じゃない、やらなきゃいけないことをやりたいことを前のめりになりながらやっているだけだから。体も心も多少の無理はする。きゅうきゅうだと思ったりもする。
どこかを壊したら元も子もないと言ってくれるし思いはする。確かにそうで。でもそれだけじゃない。必死に前のめりに行くだけが一番いい方法ではないと、抱え込んだものを消化できずに流されて終わっていきそうになるといい加減ほんとに気付いた数週間目になってわかる。
一歩進むのは、一歩ずつ一歩ずつだけではないのだ。むしろ、三歩進んで二歩下がる、そうやって一歩ずつ進んでいく、それがむしろ確かに目指すところへ常に自分の立ち位置をそこへ行けるように修正しながら進んでいく進み方じゃないかと。
一歩ずつただがむしゃらにつんのめって目の前だけ見るように進むよりも。
三歩進んでその三歩を確かめて自分のものにする、完璧には出来ないかもしれないけれど確実なものを作っていく。取りこぼしてもまた進んでまた拾って。これは自分の行く先ではないとか、これは違うと思うものもあるはずで。下がることで自分を少しフラットなところへ戻す。もう一度自分の行きたい前を見る。
だから頑張って三歩進んで、そこでその取り込んだものを咀嚼する。怖いから前だけ見てつんのめり続けてもっともっとってするだけが進む道じゃない。下がる余裕なんかない、それもまた違う。下がることは余裕ではない、むしろ自分にとっては勇気だ。出来ない自分をみつめる方が怖いんだから。
壁は自分の中にある、と。怖いという大きな壁を越えるすべを見に付けなければ、いつまでもきっと自分しか見えないままになる。
15勝15敗。0敗じゃなくていいんだ。
あきらめさえしなければ。行くことをあきらめさえしなければ。自分をごまかすような人生にしなければ。
あせるけど前しか見れないことは強いことじゃない。前を見ることと前しか見れないことは同じじゃない。自分の弱さに我慢してそれをもう一回踏みつけて。頑張ってる、焦ってる、それを本気のいい訳にしないようにしなければ越えて行けない気がするんだ。